紀伊国の夜明け

 このおもしろい地図は、歴史地理学の権威である日下雅義氏の作成したものです。奈良・平安時代の紀の川の河口部がわかりやすく描かれたすばらしいものです。歴史は、その当時の地形を考慮に入れなければ全くわからないことが多くあるのです。

 例えば、有名な神武東征伝説の中で、船で九州方面(吉備国)から瀬戸内海を通り、浪速を経て白肩津というところで当地の勢力(ナガスネヒコ)と戦い神武の兄の五瀬命(イツセノミコト)が矢で射られ負傷する。この地が現在の日下の地で奈良との県境です。つまり、その時代、生駒山系の近くまで船で行ける海または湖(河内湖)であったという事実を知らなければ、単なるおとぎ話になってしまいます。同じように、紀伊国の海岸付近で、負傷した五瀬命は力尽き亡くなります。その亡骸は、現在の竈山神社に葬られ、その後、一行は船で熊野方面へ出向いたという話です。これも、現在海からかなり内陸部にある竈山神社までわざわざ陸路を通って(紀伊にも土着の強い勢力がいて危険)、また兄を葬ったあと、海へ引き返したのではなく、上の地形から推測してみると、神武神話は奈良時代よりおそらく300年~400年前と考えると、名草山の北東にある竈山神社付近は、当時は紀の川(今と流れ・河口部が異なる)の河口付近か海辺と考えられます。このように、当時の地形を想定して歴史を見ることがどれだけ大切かということがわかるのです。そう考えると、神武東征の神話もあながち、荒唐無稽なものではなく、事実である部分も大いにあると言えるのかもしれません。 

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